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吉岡稔真が中野浩一に引導を渡した1991年川崎桜花賞

2022/03/17 12:05 閲覧数(402)
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募集テーマ:春の思い出

中野浩一が吉岡稔真を初めてマークしたのは、前橋記念だったと記憶する。S級3班に上がったばかりの頃だったがまだ関東地区には完全に『無名』な時だった。しかし、共に決勝に乗った際のコメントに『同郷の強い吉岡君マーク』とあった。確か、準決勝でも同乗してたのか?その片鱗を感じていたんだろう。着はお互いに優勝ならずだったと思ったが。。
同時、とてもつよかった本田晴美(岡山・51期)の優勝だったか?それから、全国の競輪場で正真正銘の本物、吉岡稔真旋風は吹き荒れた。先行の看板を背負っていた滝澤、鈴木誠、坂本勉、清嶋、まだ若かった神山のどの選手もその噂は耳にしていたはず。
一体どのくらい強いのか?相当、気になったことだろう。
まだ、当時は動く情報としてはテレビ番組の『サイクルニッポン』が唯一の見れる機会だった。選手同士では一緒のレースに同乗した選手の伝い聞きが情報源となっていたようだ。
どこの競輪場宿舎でも『ど偉い奴が福岡に育っているみたいだ!』と。

一方のミスター競輪・中野も30台後半にはなって多少、脚に陰りは見えだしたものの特別競輪決勝にはほとんど、顔は出していた。そんな二人が乗り合わせた1991年の競輪・春の風物詩『川崎桜花賞』2周先行でも垂れることを知らない吉岡稔真の先行劇に決勝戦ではG前で差せるどころか、踏み直されて差を拡げられて吉岡の後塵を拝した中野だった。その翌年の結局は取れず仕舞いで終わった高松宮杯を最後に引退を表明した。2着どまりになったものの最後の捲りは滝澤を捲り切ろうかという勢いがあったがその執念はファンを吉岡以上に虜にした素晴らしいものだった。ミスターは引退後に競輪コメンテーターで度々特別競輪決勝の解説をやってきたが、同郷の後輩のためか?ついつい、暑くなって『吉岡っ!』と応援していたことも思い出してしまう。もろさも持ち合わせていた吉岡だったからなのか?

ミスターに引導を渡したと感じたこのレース、この春。私にはとても思い出深い1991年川崎桜花賞決勝である。
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コメント(3)

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捲り一発!

juroさん、こんにちは!私は久留米記念だったかなぁ、九州のどこかの記念レース?で吉岡の番手を中野浩一さんと井上茂徳さんが大競りした事がとても印象に残ってますねぇ。何度も特別(G1)決勝でラインを組んでいたこの2人が吉岡の番手を取り合う。「吉岡の番手は俺だ!」とばかりに意地とプライド、今後の位置関係を知らしめるレースでしたよ!当時、吉岡の番手は特別(G1)優勝に一番近い位置に感じたのでしょうね?この2人は。
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juro

でしたねぇ~。
井上にして見ればマーカーとしては俺が日本一の自負があったんでしょうね‼️
但し、吉岡の居ない時代ならオールラウンダーの中野さんにマークしますよと。。
私も記憶曖昧ですが、福井のふるダビか、記念のどっちかだったような気がします。
しかし、バック3本駆けて最終4角から踏み直して着差を拡げてしまう吉岡稔真の強さにはどこまで強くなりゃいいの?と当時、思いましたねぇ。。

しかし、落車禍と言うのはどうしようもないですね。度重なる落車さえなけりゃ、あの吉岡の超高速域持続の先行、捲りがあと3年は拝めたと感じます。
まぁ、ワッキーも強いとも思いますけど、1990年~1992年の吉岡の方がもっと断然強かったと個人的には思いますね。
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juro

その落車をしない、また、避けられるハンドル捌きにかけては歴代ナンバーワンはダントツで江戸鷹・山口健治さんだと思いますね。
まぁ、見事と言う外なかったです。競り合いの綺麗さ、強さも含めて。
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