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礼儀正しい選手が強いとは限らない

2020/05/19 11:08 閲覧数(644)
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 ノラ・ジョーンズの声が聞きたくてファースト・アルバムをかけたのに、何曲目かの薄く被さるオルガンの音色に理由なく耳がいってしまい、ボブ・ディラン『ライク・ア・ローリング・ストーン』でアル・クーパーが弾くオルガンの和音が聴きたくなる(スタジオ隅で見学していたアルが偶然セッションに参加した逸話が好きだ)。そこから渋いバッキングやら前に出るオルガンと探し始めた。プロコム・ハルム、EL&P、ディープ・パープル、ドアーズ……まったくもって切りがないのだが、暇つぶしには恰好である。
 競輪選手の競走前、競走中、競走後の“立居振舞”をフィーチャーして比較する。――過去に俺がなした“競輪の暇つぶし”で、――四角から直線なら、すぐにやめちゃう(ように見える)選手と唯唯モガキつづける選手とか、発走台では各人御得意のポーズより、他の八人に比し自分が一等最後に構えたいタイプをおぼえた。“同型”が同乗のレースは、互いに牽制がはいって始まらないンじゃないか、と要らぬ心配をしたりもした。最近(数年前からか)は赤板附近での選手個々の所作が話題になったりするが、昔の競輪は「余計な動き」に対して神経質(抑制的)であるのが当たり前だったから、俺にはどうもその手の“ルーチン”には興味が向かない。一時凝ったのは、競走が終わり引き揚げてきた選手が敢闘門でバンク方向にお辞儀するかどうか。あれはなにがキッカケだったのだろう。単純な俺のことだからきっと些細な理由に違いない。
 やめる(諦める)のが早かった選手の翌日は買いだ――と説いたりした。昨日あれだけモガいたのだから今日は消しなどと独善も吐いた。礼儀正しい選手が強いとは限らない――は、俺の競輪の師匠筋に当たる人が放った“名言”である。

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