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一九六四年の「月刊競輪ダービー」

2021/07/24 12:02 閲覧数(210)
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『色川武大・阿佐田哲也 電子全集23 単行本未収録作品&対話集』に収められた二本の競輪座談会「競輪への僕等ファンの注文」「新春放談」をおもしろく読んだ。
 ほんの一部を引くと、大レースでの反則失格が話題にのぼり、
〈司会 ボク個人的には石田君(筆者注・石田雄彦選手。前段で石田のダービー決勝二着失格が論じられている)に同情的な見方をしたな。/色川 そういう疑問があってもファンは天の命令のように実によく、その判定に服しますよね。(笑)/一同 (笑)/鈴木 すぐに配当がいくらと発表されちゃうんでおしまいになっちゃうんだな。/一同(大笑い)/色川 どんな恐そうなアンちゃんでも内線突破失格というアナウンスを聞くと俺はツイてねえとツイテないことにしてアキラメちゃうんですね。〉
 そうそう、何十年とずうっと変わっていないと私も一緒に笑った。
 章末に(1964年「月刊競輪ダービー」10月号初出)と記されていたから、物好きに関西の予想紙記者Yにメールを打った。司会役を務めた競輪ダービーの記者? の氏名を併記し、もしかして知己であるかとも尋ねたが、「まだわたしが生まれてない年ゆえ……その年はたしか両親がお見あいをした年です。」なる返信が帰って来た。
 そりゃそうだ。よく考えたら私が六歳の時の発行紙なのである。
 あぁ、東京五輪の年だ。だからYも両親から聞かされた、オリンピックの年に見あいした話がすぐに出たのだろう。
 私がはじめて『競輪ダービー』を買ったのは二十五六歳かしら、場所は西武園競輪場だったと記憶する。黒競の売り子さんがダービーも一緒に売っていたのかだったかなぁ……。
 予想紙と月刊誌を抱えて場内を歩く私は内心ちょっと得意げだったが、周りには長髪のアンちゃんの背伸びしている様が滑稽だったことだろう。
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