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なかなか三着をとらない中野慎詞と、村上義弘の引退

2022/10/02 12:11 閲覧数(347)
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 大物ルーキー中野慎司の無敗連勝も三十でとまって、その後は普通に――と言うのも変だけど――差されたり仕掛けられなかったり。まぁ記念競輪の決勝で初黒星を喫し次走が共同通信社杯GⅡと、どんどん強者ぞろいとなっていったのだから仕方ないと言えば仕方ない。
 中野が「共同」を終え中一週間で立川FⅠを走っていた。
 一着二着の勝ち上がり、決勝は中野慎詞-新山響平-渡部幸訓の並びとなり、差しとズブズブが人気だった。前述の青森記念も中野-新山で組んでおり、その経緯(中野が不発で共倒れ)からも「ここは新山」と車券が売れるのは至極当然であろう。かくいう私も、中野がドカンと逃げて新山-渡部だと思い込み、ついでに、中野はここまで三十一勝、二着二回、着外四回、出てないのは三着だけだとこじつけの押し材料を記しもした。
 レースは北の隊列が乱れるも結果は「現地集合」のワンツースリー。ただ、渡部、中野、新山の順のゴールで買いにくい組み合わせ、中野の初物三着はお預けとなった。
 昨日、村上義弘引退の報を新聞で知った。数日前当欄に「村上兄弟がいない向日町記念」なる題名の拙稿を載せたばかりだ。驚きと納得の感情が相半ばするが、これが最後と喧伝されることもなく去る村上の流儀は素敵だと思った。
 昔の記憶だからあてにはならないけど、S級出たての村上義弘はよくズブズブの三着を食らっていた印象が残っている。一息入れればいいのに、という箇所でしゃにむに仕掛け末を欠く。そんな競輪を幾度も繰り返していたような憶えもある。皆が苦しいところ、休みたいところで仕掛ける。そうやって培われた村上独特の「競輪力」が後年、幾多のタイトルと「魂の走り」なる賞賛を得ることになった。と、わかったようなもの言いは実に恥ずかしい。だって一時は、村上義弘をただのカマシ屋と表したこともある私だから。

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