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枠単時代の三着

2020/07/29 11:32 閲覧数(274)
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 何十年前かの京都市内でカーナビに従っていたら一方通行の道に案内され焦った記憶がある。琵琶湖宮杯の前検日、記者仲間数人とレンタカーを借りての遊山であった(今と較べ当時の仕事は格段に早仕舞いだったンだなァ)。
 カーナビの進歩は目覚ましく、最近は丁寧に現在確保する車線まで教えてくれる。が、それでも運転が苦手な私は二回指示にしたがいそこねた。「そこじゃないだろう――!」私がよく競輪選手に浴びせるような叱声がカーナビから発せられても仕方ない鈍くささだ。
 無事北区王子のお寺に着いてEさんの墓参。無糖じゃない缶珈琲を供え、線香を燻らせ、ラッキーストライクに火を点けた。
 Eさんは二段駆けっぽい競輪があまり好きではなく、とくに◎の早逃げによる作戦レースを嫌った。逃げるのはいいし、差されるのも仕方ない、競輪だから。だけど端から着外で構わないような競走は納得できない。グランプリで◎深谷がなンであんなところから駆けなきゃいけないの! 十二月の立川バンクだよ!
 その夜の酒場だったか、Eさんと昔の競輪の三着に関する話になった。――逃げ切りガマンか番手が抜くか、それともズブズブまでいくか。あの時代は三着などどうでもいいっちゃいいのだが、それでもあの頃の競輪はしっかり三人、要は逃げ粘れなくとも、車券に関係なくても、人気の一角の選手が大敗するような先行を打つことはあまりなかった。今考えるに、案外三着も理の立つ決着の確率が高かったのではなかろうか―――。
 もちろん調べたわけではない。多分に気分で喋っているところもあるのだが、私は同感だった。ま、競走形態がまるで違う昔と今を較べるのは無理があるものの、「潰れすぎる」先行が横行する競輪にEさんは瞭かに白けていた。
 二周近く逃げて番手捲りを打たれた選手が、まだまだパワーが足りないと嘆き、番手捲りを打った選手がまだまだ技量不足だと反省するのをEさんは、ツマンネエ選手のツマンネエ言い訳と呆れていた。
「長きに渡り、車券を買うほうからすれば、枠単中心の競輪というギャンブルに於いて「三着」の行方は、眼中なしではないにしても興味は薄かったから、競輪の女神も三着まではまだ「カバー」する準備がなく、三着がとんでもなく荒れるのは、そのせいなのだ」――以前そんな駄文を記したことがあるが、どうやら昔の競輪の「落ち着き」を想い返すに、それは無責任な放言であったかも知れない。
 三着は全通り流したほうが……。は、ただただ競輪が変わってしまったことに尽きるのであろう。
 ツマンネエ野郎、ツマンネエ選手、ツマンネエ社長、ツマンネエ……。いつしかEさんの口癖であった「ツマンネエ」が私にも伝染ってしまった。
 Eさん、Eさんがツマンネエの代表に挙げた某は、更にツマンネエ奴に増長してますよと私が墓石にむかって喋ると、折からの風に奥の卒塔婆がすこし揺れた。
 帰りの車中、京王閣の平場の競輪で六枠-二枠-六枠の「山本山」、逃げ残り・ズブズブを兼ねる枠単を打ったことを突然想い出した。あの時Eさんは逃げ切りも押さえていたのだったか。
 「まもなく右斜め方向です」――カーナビの指示音声がちょっとだけ小憎らしい。


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