さぁ、千葉競輪開設65周年記念第7回滝沢正光杯が始まりました。
タイトルながっ!
つーことで、
まずは、そのG3のポスターに注目していただきたいと思います。
滝沢校長がピンクに染まっています。
しかも、ところどころにハートマークやら、「恋」という字が浮かびます。
ついに、あの滝沢先生も「オネエ」の仲間入りをしたかと一瞬思いました(笑)。
そして、滝沢先生の思い出といえば…。
まだ、わたくしがデビューして間もない頃。
滝沢先生は、日本一の先行選手として
中野浩一さんや、井上茂徳さんと死闘を繰り広げていました。
忘れもしない、私が22歳の時の豊橋記念です。
予選を敗退し、
その日の特選レースで先輩の自転車(そこの名前は忘れました。笑)を取りに行きました。
当然、滝沢先生(当時は選手ですけどね)は先行で逃げ切りです。
そして、一緒に自転車を取りに行った
同じく岐阜県の浮田郎先輩(56期・引退)が、
畏れ多くも、地下通路でレース後の先生に話かけました。
私は、全く話せませんでしたけど…。
先輩「いや~、滝沢さん強いですね~」
ちょっと先輩、失礼ちゃいまっか(-_-;)…
わたくしビビってました。
するとレース直後で機嫌が良かったのでしょうか、
頭をポリポリと掻いて
「いや~、そうかな~」
と笑って応えてくれたその歯茎から…。
な、なんと血が流れてました…。
その後、浮田先輩と
「な、幸二、
あれぐらい自分を追い込めないとS級の特選では逃げ切れんのやな」
と妙に納得しました。
それが、初めての滝沢先生との出会いです。
今度は、私が現役だった間…
といいますか、今でも生きていく上で滝沢先生の言葉が印象に残っています。
滝沢先生が、現役で晩年の頃だったと思います。
よく選手宿舎のサウナで、ご一緒する機会がありました。
その時、私に言ってくれたひと言というのは
とても重たいものでした。
「なぁ、ヤマコウちゃん。
何でもそうだけど、諦めた瞬間がゴールだから。
諦めなかったら、いつまでも勝負は続くんだよ」
まるで、晩年の自分にも言い聞かせるかのようなひと言。
私は、ずっとその言葉を胸に
選手生活の晩年を過ごしてきました。
言った本人は何気ないひと言だったかもしれません。
しかし、何気ないひと言で奮い立たせることができる
滝沢先生という存在感は、やはり別格のものでした。
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千葉記念 滝沢正光杯
2014/10/18 23:57 閲覧数(2007)コメント(0)
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