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旧い競輪観

2014/10/24 23:07 閲覧数(1221)
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 競輪はプロレスの要素を含み、任侠映画を疑似体験できる。
 ナンノコッチャと返されそうだが、「格闘」と「義侠」は長らく俺の車券推理のベースになっていた。が、それはもう旧いらしい。
 高校球児も綺麗に眉を整え、田舎の若い警察官も流暢な標準語を話す時代だ。競輪選手にだけ「昭和」を強要するのは無理というもの。
 競輪が変われば車券も変わるは必定。拘りを解けない俺の推理はアナクロニズムと揶揄されて然るべきだろう。
 懐の一万五千円を五万円にする・十万円にしたいが俺のギャンブルの基本で、その昔、競輪はその種目として打って付けだった。丁半博打に似た潔さがあったから。しかしこれだけ「本命」が脆い今の競輪ではその役目は担えまい。もう決死隊みたいなギャンブルなど打てなくなった俺だが、「急ぎの金」に迫られときのチャレンジは競艇を選ぶ場合がほとんどだ。ま、大概は肩を落として螻蛄が落ちだが。
 有り金はたいて四号艇を買う。二階か三階のスタンドから第一ターン・マークに念を送る。先に回る一号艇、最内を差す三号艇、若干膨れた二号艇に触れた俺の四号艇が大きく飛んだ。その瞬間の心臓ドン!は生きてる証しである。
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