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「本気の基本」を読んで・・・ ①

2014/06/25 3:27 閲覧数(4607)
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皆さんは「本気の基本」を読みましたか?

私の素直な感想は、やはり高橋貢というオートレーサーは「本物の天才」だと思いました。本物と言うなら偽物とはなんだ?と突っ込まれそうですが、それは続けるということの難しさに集約されるように、20年近くトップの座を保ち、獲得賞金総額が17億円を超えている事実が「本物」という言葉に相応しいと思えるからです。もしオートレースとい競技にもう少し社会的な認知が与えられていれば、イチローや松井秀喜や中田英寿と同等な人気と評価を彼は得ていたでしょう。しかし現実は違います。そのことが彼にとって良かったのか悪かったのか私にはわかりません。けれども彼が、間違いなく「天才」であるという事実は揺るがないことだけは確かだと考えています。

本書の広告などにビジネスマンの必読書とか成功の秘訣とか色々書かれていたのですが、ちょっとその辺りが気になりました。本書に書かれていることを素直に受け取って真似をするのは自由ですが、実際は参考程度にした方が良いと思います。なぜなら王者の言っていることは全く正しく、「基本」ということに対する考え方も非の打ち所がない。ただ世の中の大半の人は王者の言っていることができないのです(もちろん私もそうですが)。基本を忠実に実行し更に継続する。言うは易し、行うは難し、とはまさにこのことです。



少し細部を追ってゆきましよう。本書・27P

「自分は特別なことは何もしていない。人と違ったこと、変わったことなんて何もしていない。本当に普通の人間なのです。いや、普通以下の人間かも知れません。自分がやるべきことを見つけて、やるべきことをただやり遂げる。それを続けているだけなのです。ただ、基本に忠実にあれ、それだけなのです」

普通の人間と表現してしまうことが彼の人間性を表していると思いますが、本物の天才は自分のことを天才とは言わないものです。

逆説的に考えましょう。
基本を繰り返すことや、やるべきことをやり遂げられたことが、皆さんはどれだけありますか?正直言って私の人生に於いては殆どありません(笑)。王者はさらりと言っていますが、実はこれほど難しいことはないのではないでしょうか。

天才と凡人の違い、それは王者の言っていることが「普通に」できないとことだと思っています。けれども天才には天才の苦しみがあるようです。

本書を読むと些か衝撃的です。あの王者が鬱病にかかっていたは・・・。
しかし私の見方は少し違います。医学的に見ればそうなのかもしれませんが、これは限られた人間、もしくはある特定の能力を与えられた人間だけが経験する焦燥感であり、次のステージに上がるためのモラトリアム(準備期間または猶予期間)ではないかと思うのです。事実、自らの力で目標を見つけると王者は不死鳥のように復活しています。

ある意味王者は大変ですね。年間賞金総額が5千万~6千万ぐらいだとスランプと言われてしまうのですから。しかしそれは、如何に王者の成績が突出しているかとも言えることです。



王者の非凡さを表すこととして本書の64Pに、先輩からのアドバイスで大楽勝をしても素直に喜べなかった、と書いてあります。これで本当に良いのかと・・・。

詳細は読んでいただいた方が良いでしょうが、まさにこれも王者が天才であるが故の事柄でしょう。凡人と秀才は結果が全て。楽をして結果が得られればなおさら良い。プロセスなどどうでも良いのです。でも結果のみで満足しない人間も確かに存在します。

さらに注目したのは整備についてです。とにかく発想の仕方が独特ですね。少し引用しましょう(68P)

「ここに、エンジンのネジがあるとします。左から小さい順番に10個並んでいる。一番最初に、3番目に小さいネジを良かれと思い選んでみたが、不正解だった。でも間違えたけれど、確実に正解に近づきつつあることを解ったとしましょう。さぁ、次の選択はどうするか。・・・・略・・・・この状況では、最初に選んだネジにより近いサイズを手にする選手は少なくないと思います。でも、僕は違う。極端にサイズの違う一番大きな物を選びます。2回目の選択では、敢えて逆方向に振ってみる。そして、正解との距離を違う視野から測り直します。この作業でだけでいえば、ずいぶん遠回りしているように映るでしょう。でも、長いスパンで物事を考えるならば、正解と大間違いの距離も同時に知っておくことは、とても大事なことです」

だいぶ長い引用になりました。でも、ユニークですね。私もさすがに唸りました(笑)。

正直、実社会の中で私たちのような凡人が、これと似たような場面に遭遇することはほとんどないでしょう。仮に遭遇したとしても王者のような選択は、まずできない。というより正解と大間違いの距離を知るなどという発想は「普通」にしないでしょう。

言わんとすることは私ぐらいの年齢になると実感として理解できます。要は「急がば回れ」なのですが、実際はなかなかできません。むしろ近道を探すことに集中するでしょう。場合によってはその方が評価を受けることもあるからです。選手たちも結果を求められる立場ですから、収入に直結することなので、なかなか王者と同じようにはできないでしょう。だから非凡と言えるのですが。



さて次は、実際に王者を車券対象とするときに参考になるかもしれません。本書・104Pから105Pに書かれていることです。長いので要約すると、

「・・・自信があるからこそ、逆にファンをハラハラさせてしまう結果になることがあります・・・」

エンジンに絶対の自信がある。
     ↓
無謀な早仕掛けをする必要がない
スタートも大きなミスにつながるような無理を避ける
     ↓
必要以上に慌てなくて済む自分がそこにいる
     ↓
自信があったからこそ落ち着いて攻めたつもり

そして王者はこう言うのです。(105P~106Pから引用)
「そう頭に思い描きながらコースに出て行って、取りこぼしたレースは、これまで一度もありません。ただの一度もありません。全部、1着でゴールしています」

思い描いたことをそのまま実行できる。それは誰にでも与えられる能力ではないでしょう。オートレースという限られた世界の話かもしれませんが、オートレースで1着を取ることの難しさを知っているからこそ、この言葉の重みを私は深く考えてしまうのです。

そういえばここ2ヶ月ぐらいの王者のレースですが、スタートで妙にカマシが決まるな、と思っていたら決勝戦では全部負けています。きっとエンジンやタイヤに自信がないからスタートで行く、ということなのでしょう。
予選や準決勝でスタートを決める王者がいたときは、優勝戦の1着はないと考えても良いのかもしれません。勇気が要りますけどね(笑)。



これから書くことは、取りようによっては何と不遜な人間と思われてしまうかもしれません。しかしある意味、最も王者らしいとも言えます。

永井選手を筆頭にスタートを決めて逃げて勝つことが主流になりつつある昨今、また若手の快速系レーサーが台頭する現状、その風潮に対して王者こう言います(134P・前後は省略)

「じゃあ、40歳前後の自分はもうSGに勝てないというのか。そうかい、わかったよ、じゃあ、若い選手がそうするように、逃げて勝ってやろうじゃないか。スピードを使って逃げてやる。それで満足かな?」

そして2009年のスーパースター戦で王者はこう言った。
「今回は、つまらないレースをするよ」

スタートで他を圧した王者は10周回を堂々と逃げ切る。しかも前年で永井選手がマークした3.335を大きく上回る、3.318という上がりタイムのおまけ付きで。

勝つという結果より勝ち方にこだわる、王者の真骨頂ともいえる2009年の大晦日でした。
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