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歌舞伎町物語

2015/03/01 9:18 閲覧数(1331)
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 〈新宿ミラノ座〉が閉館したと数ケ月前のテレビが報せていた。ミラノ座の上階にあるボーリング場のジューク・ボックスでマイケル・ボルトンの「TO LOVE SOMEBODY」を掛けたら、ディスプレイとスピーカーの傍まで七八人のフィリピン人が集まり大合唱になった。俺がまだ三十代の頃の話だ。「TO LOVE SOMEBODY」の原曲はビー・ジーズで、映画「小さな恋のメロディ」の運動会の場面でも使われている。親と一緒じゃない最初の映画は「小さな恋のメロディ」で上映館は新宿だった。ミラノ座の前の広場には噴水があった。「青春の蹉跌」の劇中、桃井かおりが自棄の表情で入水する場面を忘れないでいる。とうの昔に噴水は撤去され、向こう側の新宿コマ劇場も取り壊された。昔、コマ劇場に隣接する小規模な売店には関東近郊の競輪予想紙の前夜版が全て揃った。夜の七時八時になると〈黒競〉〈赤競〉〈青競〉を求める競輪ファンがぞろぞろと集まって来たものだ。友人の某は必ず〈黒競〉と〈夕刊・ディリ―〉を一緒に買った。ミラノ座から一本か二本裏に入った中華料理屋BはE先輩から教わった。Eさん曰く「混雑する日曜だろうが夕食時だろうがまず座れる」がこの店の売りだった。仰せのとおり俺は今だBで満席の状況に遭遇したことがない。入店すると店主はルーチンのように水と夕刊紙をテーブルに置くのだった。Y先輩と競輪の帰りによくパチンコを打った。興が乗ると歌舞伎町の怪しい店まで遠征してポーカー・ゲームをやった。たいして負けてないのに堂々と店員にサービスの鮨を頼むYさんの図々しさが頼もしかった。
 E先輩とは一年、某とは四五年、Y先輩とは十年近く逢っていない。たいした忙しさでもないのに驚くような速さで時間が流れてゆく。競輪の斜陽など論じている場合じゃない。まごまごすると自分が先に終ってしまう。
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